2016
01.21

高潔なる意志の元で。『ブリッジ・オブ・スパイ』感想。

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Bridge of Spies / 2015年 アメリカ / 監督:スティーブン・スピルバーグ

あらすじ
コート着ないと風邪をひく(教訓)。



1960年代の米ソ冷戦下、弁護士ジェームズ・ドノヴァンはFBIに逮捕されたソ連のスパイ、ルドルフ・アベルの弁護を依頼される。周囲の非難に負けず職務を果たそうとするドノヴァン。そんななかソ連に捕らえられたアメリカ兵とアベルの交換という話が持ち上がる。スティーブン・スピルバーグ監督、トム・ハンクス主演、ジョエル&イーサン・コーエン脚本の実話を元にしたサスペンス。

アウェイというのはツラいものです。自分に対しての好意が期待できない現場、そこでは余程の依って立つものが必要になります。本作の主人公である弁護士のドノヴァンはソ連のスパイを弁護するというアメリカ国民としては背信とも取れる仕事を引き受け、それが「アメリカは法治国家である」というポーズによる依頼であるにも関わらず「人は法の元に平等であるべき」という信念に依って立ち、本気の弁護を行います。米ソ冷戦下の緊張、さらには東西ドイツの分裂という複雑な状況が絡み、やがて持ち上がるさらに複雑な人質交換におけるネゴシエートのスリルが見応えあり。それでいてほのかなユーモアも盛り込まれており、様々な面白さがあります。貫き通す正しさ故の困難、しかし決して屈しないドノヴァンの高潔な意思に、やがてソ連のスパイであるアベルとの間に通じる感情、そして手練れならではの交渉に静かにじわじわ熱くなります。

ドノヴァン役のトム・ハンクスはスピルバーグとはもう何度も組んでいるだけあり、さすがの安定感。アベル役のマーク・ライランスも飄々としたなかにスパイの悲哀を滲ませていて上手いです。実話に基づく話のため、ある程度の歴史的背景は知っておいた方がいいでしょう。といってもここで言う「ある程度」は「冷戦というのは何か」「東西ドイツの間にはベルリンの壁というものがあった」程度で大丈夫です。ちなみに終盤出てくる「チェックポイント・チャーリー」とは東西ドイツの国境検問所のことですよ。

コーエン兄弟の脚本のトリッキーさと、スピルバーグの演出の上手さが奇妙に、そして絶妙に融合。一見淡々と進むなかで迫力の墜落シーンや突然の死の描写があったりして、でも不思議と統一感があります。そう感じるのは細かいところまで実によく練られて作られているからでしょうね。スパイの悲しさでもある「不安」についてのやり取りが、終盤に違った意味を持つのも良いです。長さと重さを感じさせない面白さですよ。

↓以下、ネタバレ含む。








序盤の始まりは実に静かで、それだけアベルが自然にアメリカ社会に溶け込んでいる感があります。ただ、本作はスパイが潜む社会、のような国家間の「今そこにある危機」を描くわけではなく、その国家の任務や謀略や縄張り意識に翻弄される人々がメインです。ソ連のスパイであるアベルも米空軍のパワーズも東独に不当に拘留される学生プライアーも、みなそういった国家の思惑の矢面に立たされた者たち。そんななかでドノヴァンだけが国家の威信も面子も駆け引きも関係なく、いや正確に言えば相手の顔を潰さぬようにしながら間にある壁を貫いて動く唯一の人物です。ちょうど建設されるベルリンの「壁」とは対照的な存在なんですね。今まさに壁が築かれる、というシーンの絶望感は凄まじいですが、その対極がドノヴァンと言えるでしょう。

やがてドノヴァンが関わることになる国境を越えたところで起こっている事件が、ドノヴァンが事に当たっているときその奮闘に水を差すように挿入されます。裁判シーンと交互にパワーズが飛び立つシーンが描かれたり(偵察機撃墜時の迫力!)、突然プライアーが拉致されるシーンが入ってきたりする。このあたり脚本コーエン兄弟ならではの意表の突き方じゃないでしょうか。しかしながらむしろ落ち着いた印象さえあるのは、全体的にカメラワークがゆったりしているせいですかね。展開はわりと早いのにせわしなさは感じません。

加えてサスペンスな展開のなかにちょいちょいユーモアが挟まれるのも大きい。ドノヴァン家の食事シーンの奥さんの態度とか、東ドイツの秘書の青年が「おれ英語自信あるっす」って言ってる英語が下手だとか。東ドイツの荒れた生活が伺えるコートを盗られるというシーンも、その後の風邪を引きそうになってる姿にちょっとおかしさを滲ませたり。風邪気味のドノヴァンが鼻をすするシーンが、前半で同じく鼻をすするアベルの姿にダブったりもします。決して軽い話ではないのに、ユーモアで一息つかせることでシビアな話に均衡を与えており、このあたりのバランスは秀逸。

台詞もよく練られていて、交渉の持って行き方も含め、会話劇としても面白いです。何度も言う「one, one, one」が交換するのは二人というところで+1されて「two, two, two」になったりします。印象深い「不安はないのか?」「何の役に立つ?」というドノヴァンとアベルのやり取りは、最初はアベルのスパイ故の平常心を表す言葉だったのが、最後はドノヴァンに対する信頼のニュアンスを持つんですね。またアベルがドノヴァンを「不屈の男(standing man)」と評しますが、最後にプライアーを待とうとするドノヴァンを見て同じ意味のロシア語(これは字幕に出ないので最初に言ったのを覚えてる人しか分からない)を口にして、一緒に待つのも熱い。しかし「歓迎されない場合の態度」である抱擁を受けずただ席に座らせられる、というアベルの姿を見たドノヴァンは呆然と立ち尽くし、別の意味で「standing man」となるのです。

タイトルの意味するところは、スパイの交換場所であるグリーニッケ橋と、スパイ交換の架け橋となるドノヴァンとのダブルミーニング。ソ連と東ドイツ両方に交渉を持ちかけるのがまかり通るのはちょっと不思議ですが、それも二国の関係性を逆手に取った交渉の妙。それこそ諜報員のような交渉人でありながら政府代表のようにまで振る舞うドノヴァンは、最後まで法の元の正義に依って立ちます。それ故に、壁を越えようとした者が撃たれるベルリンの実態を、子供たちが遊びでフェンスを乗り越える様子に重ねて見てしまう。ラストの「疲れた」という一言には、そういった交渉だけで救えない世界に対する疲労もあるのかもしれません。その後キューバでカストロと交渉し9000人以上を解放する偉業も、そんな無力さに負けない高潔な意思によるのでしょう。不屈の男の伝記ものとしても良くできています。しかしそんな堅苦しささえも、電話で「自分がいないことに気付いてるか?」と聞いてしまうほど実情を知らなかった家族が、テレビで父の偉業を知るところで暖かさに変えてしまう。泥のように眠るドノヴァンの姿は不屈の男が一人の普通の男に戻った姿であり、帰ってきた我が家への安心感で幕を閉じる。皆が自分の家に帰って終わる、というのがとても良いです。

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