2016
01.04

失った繋がりを求めて。『恋人たち』感想。

koibito_tachi
2015年 日本 / 監督:橋口亮輔

あらすじ
生きるのは困難だけど。



ある出来事のため理不尽な目に遭っている橋梁検査の男アツシ、同じような毎日を過ごす弁当屋で働く主婦の瞳子、友人との関係に思い悩む若い弁護士の四ノ宮という、主に三人の男女を中心とした群像劇。監督は「ぐるりのこと。」以来7年ぶりの長編となる橋口亮輔。

ごくありふれた人々の心のうちに潜む闇や無というものが描かれていきます。失われた生きる気力、やるせない日常、襲いくる疎外感という負の面を描くため結構重いですが、それでもなんとか這い上がろうと足掻く三者の姿に、生きることのツラさだけでなく生きていれば垣間見える希望というものも感じることが出来ます。ちょいちょいユーモアが含まれるのもアクセントになってますね。

主演の3人は無名の役者さんですが、オーディションで選ばれて当て書きされただけあって、素の言動を出してるような自然な演技。3人とも見た目が結構印象的ですね。彼らは微妙にリンクしますが、最後に一堂に会する、みたいなコメディ的な群像劇ではないです。三石研の外ヅラの良さとのギャップ、安藤玉恵の美人水の重ね技、木野花の絶妙にいやぁな姑ぶり、リリー・フランキーがいい人でも怖い人でもなくウザい人であるなど、脇を固める役者陣もいい味出しています。

人と人が繋がり、その繋がりが意に反して失われる。それでも人は生きていくために繋がりを求めていく。……これ以上のあらすじは知らずに観た方がいいと思います。深く心に刻まれる一作です。

↓以下、ネタバレ含む。








冒頭のアツシの語りが何なのか最初はよく分からないんですね。妻との思い出を語っているのにその妻は出てこない。一瞬映る「供述書」の文字。開けようとして開けられない引き戸。そんな不穏さのなか、真実が一気に明かされるのが役所での健康保険に関するやり取りで、観る者は衝撃を受けているなか、役所の担当者は胸三寸で一ヶ月だけの保険を渡す程度の扱い。文句を言おうと何度も行ったり来たりするアツシの姿は見ていて本当にツラいです。「同じ目に会ってみろ」と部屋のものに当たったり、ケータイのアドレス帳を見て「この中のどれくらいが友達なのか」と呟いたり、同じ悲しみにあると思っていた義姉は自分の婚約が反故にされたことを嘆く。あらゆる人との隔たりを映しての絶望感が凄まじいです。

瞳子は日々の家事に追われ、弁当屋夫婦のヒステリックな言い争いを受け流し、何かと自分を否定する姑の嫌みに耐え、旦那の合図一つで無言で夫婦生活に付き合います。でもロマンス溢れる小説を書き自作の挿し絵まで描く乙女であり、何かあれば雅子さまを撮ったビデオを何度も観るほど王子様への憧れがあります。だから光石研の演じる藤田と自転車で二人乗りをして鶏を二人で追うというのは完全にフラグの立つイベントになってしまいます。繰り返される日常の無表情とは対極にあるような笑顔は、はしゃいでる少女のそれと変わりません。習慣で空のペットボトルをつぶすような普通の主婦が、自分を王子様に会えたプリンセスだと思ってしまい、義母が壁に張って取ってあるラップを全部引っぺがし、全てを捨てて王子様の元に駆けつけます。しかしこの王子様がとんだ食わせ者のダメ男と知り、現実の生活とも理想の出会いとも隔たりが出来てしまいます。そもそも藤田は乳首いじりながら作品の感想を言うような奴ですけどね、恋は盲目ということでしょう。

四ノ宮は若くして有能な弁護士として活躍するものの、あの張り付いたような笑顔とか、語尾にいちいち「じゃん」を付けるのがかなりイラッとします。彼の背中を押して落としたのが誰なのかはよく分かりませんが(彼氏かな?)、彼氏に対する高飛車な態度とか余裕こいた態度とか、まあ反感を買うタイプなんでしょうね。そんな彼が同性愛者であることをカミングアウトしながらもずっと友達付き合いしてきたノンケの友人、聡への思い。しかし聡は四ノ宮の見舞いに来たりしながらも、いつもどこか上の空に見えます。実は避けてるんだなというのがやがて分かるわけですが、四ノ宮もまた密かに思いを寄せ続けてきた友人との隔たりが決定的になってしまいます。

このように三者三様の世界との隔たりが描かれ、そして失われた繋がりに対して最後に3人は心の内をブチまけます。片腕の上司黒田さんに誰にも話せなかった胸のうちをさらけ出し「カルパッチョなんてどうでもいいですよ」と叫ぶアツシ。注射も満足に打てないヤク中の藤田に、むなしく夢と希望を語る瞳子。聡に電話を切られた後も携帯に向かって思いをぶつける四ノ宮。周囲からは理解されない3人が、溺れそうになりながら必死で水面に出ようとするような、魂の言葉です。そんな人物たちの物語に『恋人たち』というタイトルを付けるか!というのは大きいです。「カップル」というよりは、永遠に失った妻、幻想だった王子様、去って行った思い人というように「恋をする対象」というニュアンスの方が強い気がするんですよ。そこには幸福だけではない、反転しての不幸というものも内在しているため、ある意味残酷です。アツシが街中で見かけた立ちションカップルこそが本来の「恋人たち」でしょう。しかしアツシにとってはそのごく普通の二人が余計喪失感を際立たせ、そして「何もできない」といって妻の位牌の前で泣くことに繋がります。

そんな極限に達したツラさに、ほんの少しだけ差す光。激昂するアツシの話を静かに聞き、「あなたと話せなくなるのは嫌だよ」と言う黒田さん。いつも無言だった旦那が瞳子にぼそりと言う夫婦としての一言。四ノ宮の悲劇を勝手に解釈して泣きだす女子アナ(正直四ノ宮だけは救いになってませんが……まあ保身のためにアツシを切り捨てるシーンがムカつくのでバランス的にはこれでいいでしょう)。たとえ失っても思いは止められないし、そしてその思いがあるから人は生きていく。そんな「人への思い」というメッセージがタイトルには込められているのかもしれません。だからラストに妻のいる天を指して「よし」というアツシの姿に、ささやかながら確かな前向きさが感じられて、涙が出ます。

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