2015
12.28

栄光の階段を上れ。『クリード チャンプを継ぐ男』感想。

Creed
Creed / 2015年 アメリカ / 監督:ライアン・クーグラー

あらすじ
誰にでも戦う理由がある。



元ボクシング世界ヘビー級チャンピオン、故アポロ・クリードを父に持つ青年アドニス。彼はかつてタイトルを賭けてアポロと二度対戦したロッキー・バルボアにボクシングのトレーニングを依頼する。既にボクシング界からは手を引いていたロッキーがアドニスの中に見たものとは……。シルベスター・スタローンの代表作『ロッキー』シリーズが新たな主人公を得て復活。

前作『ロッキー・ザ・ファイナル』から9年、まさかの続編の登場です。と言っても主人公はロッキーではなくアポロの息子ドニーことアドニス。ロッキーのかつての盟友の息子がロッキーに教えを乞うんですね。この設定だけでもう激熱なのに、血筋を越えた親子の繋がり、名前を継ぐことの不幸や重圧、抑えきれない闘争本能など様々な要素が込められ、それでいてロッキーのシリーズとしても単体の師弟物語としても非の打ち所がない出来。そしてボクシングの試合シーンが凄まじい迫力で、臨場感と言うより最早スペクタクルの域に達しているのも秀逸。

主演のマイケル・B・ジョーダンがとても良いです。『クロニクル』『ファンタスティック・フォー』でも存在感を示した彼が、見事にビルドアップされたボディと共にアドニス役を熱演。なぜ戦うのか、そしてロッキーへの思いといった難しい役どころで魅せてくれます。そしてロッキー役のシルベスター・スタローンがとにかく素晴らしい。一年前の『エクスペンダブルズ3 ワールドミッション』ではまだまだタフなマッチョぶりを見せていましたが、本作ではその現役感を封印してかつてのチャンプを演じます。長く演じてきた役柄だからこそ表せる地続きの円熟味とでも言うんでしょうか。すっかり老人となったロッキーが確かにそこにいるのです。これが凄い。そして泣ける。ヒロインのビアンカを演じるテッサ・トンプソンもとても魅力的です。

ロッキーシリーズ全作をちゃんと踏まえた上で新たな物語を紡いでいるのが本当に素晴らしくて、シリーズ名シーンのなぞり方や過去からの繋がりには敬意さえ感じます。格闘技映画としても非常に優れた出来で、音楽もとても良い。1作目の公開から39年、なぜいまロッキーなのか?それは逆境に抗い自分を取り戻そうとする若者の普遍的な物語だからなのでしょう。 魂を受け継ぐ作品と言えます。爆泣き。

↓以下、ネタバレ含む。








■新しさと懐かしさ

ロッキーシリーズはボクシングの殺陣自体はあまりテクニカルな組み立てになってない印象があるんですが、本作はガードやスウェーやダッキングといったボクシング技が実にリアルで、本当の試合を観ているような段違いの良さ。メキシコでの試合もピートの息子とのファイトも、試合開始からインターバル、決着に至るまで、カットを割らない長回しによるリアルタイム感が凄いです。これはアクション覚えるのが恐ろしく大変そう。特に二戦目はカメラがリングの外から映すのではなく、リングの中にあるというのもポイント高いですね。ドニーと共にリングに立ってる感じがビシビシきます。ミット打ち名人、カットマン、グローブ職人といったスタッフが揃っているのも新しいです。

新しさだけではなく懐かしさもしっかり入れてきます。例えば鶏を追う練習法や足の動きを紐で限定してのフットワーク練習など、かつてミッキーに授けられたトレーニング法でドニーを鍛えるロッキー。ついでにミッキーに言われた「女は足にくる」までドニーに言ってて笑います。こういった過去作を彷彿とさせるシーンは随所に見られますが、時代性やドニーという人物に合わせて描き方を変えてきます。特にジョギングシーン。子供たちと走り階段を駆け上ったロッキーは、自分を育てたフィラデルフィアの街に拳を掲げました。ドニーは同じ街で自分を差別しないバイカーたちと走り、自分を育てた老トレーナーへ両手を掲げます。それをにこやかに眺めるロッキー。エキサイトしながらもハートフルです。

時代性という点ではYouTubeで簡単に過去の試合映像を観れるというのも現代的。「写真はクラウドにあるから消えない」と言うドニーの言葉に思わず頭上の雲を見上げるロッキーには「おじいちゃん……」となっちゃいます。


■アドニス・ジョンソン

ドニーことアドニス・ジョンソンはアポロの子ではありますが、アポロの愛人の子供であり、それがずっと枷になってきたのでしょう。誰もドニーにボクシングを教えないのも、単身メキシコに行って戦うのもそれが理由。父に対する複雑な思いは、壁に映したロッキーとアポロの試合映像で、自身をロッキーの方に重ねてアポロを打つようなシャドウをするところにも表れています。ロッキーに師事するのは父親のライバルだったから、というのもあるのでしょう。アポロの妻メアリー・アンが愛人の子を引き取り息子として育てるというのも何とも言えない複雑さを思わせます。

マイケル・B・ジョーダンはアポロ役のカール・ウェザースにはそれほど似てないと思ってましたが、留置所でロッキーと向かい合うときの泣きそうな顔とか、最後の打たれて腫れ上がった顔などには不思議とアポロの面影が見えてくるんですよ。本当に良いキャスティングです。


■ドニーとロッキー

一方、変わらずシャレた帽子を被り"あの"ボールを持って歩くロッキーですが、いまや愛する者はみな旅立ち、その喪失感にも慣れて、背中が痛くて眠れないとボヤく一人の老人です。子供は「ロッキーの息子」であることを嫌ってカナダへ行ってしまった。そこに「アポロの息子」であることを嫌ったドニーがやってくる。孤独な二人は師弟関係からロッキーの病を経て親子のような関係になりますが、それだけでなくドニーがロッキー自身と重なるところもあります。ロッキーと同じようなビッグチャンスもその一つ。しかし本来ならラッキーなシンデレラボーイと言われるところも、結局父のネームバリューによって組まれたカード。ドニーがビアンカに素性を隠すのもそれを嫌ったからですね。これは元ミッキーのジムで「イタリアの種馬」とデカデカと宣伝に使われている現在のロッキーとも被ります。

ではなぜ有望視されている会社を辞めてまで父と同じボクシングの道を選ぶのか。小さい頃からの闘争本能はあるでしょうが、その根底にあるのは自分の存在が過ちじゃないということを証明するためなわけです。ロッキーが『1』で自分はただのゴロツキじゃないことを証明するために戦うのと近い。でも背景としては負け犬がどん底から這い上がる話とはちょっと違うし、『4』でアポロが国の威信をかけて戦うのとも違う。「戦う相手」は鏡の中の自分だと言うことを思えば、むしろ『3』で自分自身と戦うロッキーに近いです。こうして見ると過去作の様々な要素が巧みに取り込まれているのを感じます。ロッキーが最初トレーニングを断るのも『5』での苦い記憶があるからでしょう。

結局ロッキーは自分とも重なるようで息子のようでもあるドニーを鍛えることになります。エイドリアンとポーリーの墓に参り新聞を読むのが習慣なのであろうロッキーは、ドニーの面倒を見るのもきっとあそこでエイドリアンと話し合った結果なんでしょうね。この辺りのスタローンの演技も実に自然。早朝にドニーを起こして陽気に踊るとか、ドニーに縄跳びさせる横に座って新聞読んでるショットなどもたまらなく良いです。


■栄光の階段の上で

アポロが履いていた星条旗のトランクス、ボクシングには反対していたのにそれを贈ってくれた母親、トランクスを履いたドニーを「チャンプ」と呼ぶスタッフと、王者コンランとの試合に至るまでの流れには泣かされます。試合シーンはこれまた圧巻。最初の2戦でドニーに近い位置にあったカメラが、今度はリングの外からの視点も入ってくる。ロッキーの、ビアンカの、メアリー・アンの視点です。そしてロッキーの一言一言がドニーを勇気づけます。最終ラウンド、もう止めようと言いながらレフェリーがかざす指の数を教えるロッキー(と思ったらカットマンでした)。「お前を勝たせたい」と言うロッキーの言葉を受け取ったドニーが、コーナーを出たときに流れる「ロッキーのテーマ」。「お前は家族じゃない」「俺の家族を殺した」と口を滑らせた二人が作る信頼関係にもう泣きまくりですよ。試合後にドニーは母に対し「まだ息子と思ってくれるか」と言い、皆を「家族だ」と言い、亡き父に「愛してる」と言う。「クリードは誇りだ」と。タイトルが『ロッキー7』ではなくあくまで『クリード』であるのは、ドニーを中心としたファミリーの物語であるからなのでしょう。

ロッキーの「試合が終わったら頼みがある」という台詞に「まさか?」と思いますが、さすがにドニーとの対戦ではなかったですね。そう言えばロッキーとアポロの3度目の対戦でどちらが勝ったかというドニーの問いにロッキーは「アポロが勝った」と言いますが、あの時はアポロの息子と聞いた直後だったのでリップサービスだった可能性もあり、二人の対決は本当に二人だけの秘密なのかもしれませんね。それはともかく、ジョギングであの大階段を上らなかったのはラストのこれがあったからというのもあるでしょう。年寄り扱いせず無邪気に急かすドニー、息も絶え絶えにようやく登り切るロッキー。ふたりが並んで見つめるフィラデルフィアの景色は昔とは変わってしまったけれど、栄光の階段を上った二人の男には変わらず眩しくて清々しい眺めなのだろうと思うのです。

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