2015
12.10

スパイの人生にサヨナラを。『007 スペクター』感想。

spectre
Spectre / 2015年 アメリカ / サム・メンデス

あらすじ
タコの触手に気を付けろ(くっつく)。



ある謎を追ってメキシコ、ローマと単身渡り歩く007ことジェームズ・ボンド。美しき未亡人ルキアから仕入れた情報でボンドが潜入した会合は、悪の組織スペクターの集まりだった。しかしそこにはスカイフォールで焼け残った写真に写る少年期のボンドとの因縁が関係していた……。ダニエル・クレイグが4度ジェームズ・ボンドを演じる『007』シリーズ24作目。監督は前作から続投のサム・メンデス。

前作『スカイフォール』はジェームズ・ボンドという男の過去にまで遡り、007の斜陽と再生を描きましたが、本作ではさらにとんでもないことをやってのけます。

まずは相変わらず美しい映像。前作に続きシンメトリー的なカットも多用しながら、雪山も街並みも背景の捉え方が非常に美麗。舟の上に立って湖を渡ってくるボンドや葬儀場にたたずむルチア、後半登場する砂漠にある施設の全景など。特に冒頭、メキシコの「死者の日」の大パレードからどんどん場所を移して続く驚異の長回しは圧巻です。実際は疑似長回しのようですが、それでもモノクロが却って美しい祭事と恐ろしいほどの喧騒を余すことなく映しながら高低差まで自在な映像が凄い。さらにそれらの美しさを崩すことなく繰り広げられるアクションの数々。崩壊の迫力から追跡劇、大混雑の広場でのヘリパニックなどはアバンタイトルとして最高級。他にもローマの街を爆走するカーチェイス、列車内での壮絶なバトルなど目白押し。なかでも砂漠の中でのギネス級の大爆発は、実際にギネス認定されちゃったのも頷けるほどのスケール。そんなアクションやドラマが、風景にしっかり組み込まれ融和しているのが素晴らしいです。

今作ではコネリー・ボンド時代に登場していた犯罪組織「スペクター」をタイトルに付けていることに始まり、過去作へのオマージュがこれでもかと込められています。荒唐無稽さは増し、様々なギミックが登場し(使えないのもあるけど)、ユーモアも増え、スペクターの会議シーンやシンプルさを追求した秘密基地まで出てきます。つまり前作をクレイグ・ボンドの集大成とするならば、本作は007シリーズの集大成と言えます。さらにそこにはクレイグ・ボンドの人生というものも内包されているのです。

それまでとは異なりシリアスな007としてシリーズを引っ張ってきたダニエル・クレイグも今回で4作目のジェームズ・ボンド。スマートな肉体派とも言うべきカッコよさは文句なし。ボンド・ガールのマドレーヌ・スワン役は『ミッション・インポッシブル ゴースト・プロトコル』では殺し屋役だったレア・セドゥ、未亡人役はモニカ・ベルッチと、ヨーロッパ美女二人が揃い踏みというのがゴージャス。モニカ・ベルッチはちょっと無駄使い感がなくもないですが、少ない出番で最高にエロいキスシーンがあったりするので華を添えたというべきでしょう。前作から登場したベン・ウィショーの演じるQちゃんの大冒険、新Mのレイフ・ファインズの晴れ舞台、ナオミ・ハリスのマネーペニーには男の影……?なども見所。またスペクターのトップであるオーベルハウザーに、出ましたクリストフ・ヴァルツ。00部門廃止に動く官僚C役にはアンドリュー・スコットで、『SHERLOCK』のMがMと対峙します。またターミネーターばりの強さと不死身さと追跡能力を持つ敵役ヒンクスとしてデビッド・バウティスタ。『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』『アイアン・フィスト』など加工された顔面ばかり観てたので最初気付かなかったですよ。

手放しで絶賛できない点もあります。アクションでも雪山で車を追う飛行機シーンなどはちょっと間延びして感じるし、ボンドとスペクターの関係はさすがに唐突感が否めません。何より上映時間148分はさすがに長く、もう少しタイトにできたのではという気も。ともあれそんな不満点を凌駕する部分も多く、往年の007映画に通じる楽しさというものを存分に味わえます。つまり一大娯楽作であることは間違いありません。シリーズ初見でもいいですが、できればクレイグ・ボンドの前3作を観ておくとより楽しめるかも。以下では過去作とも若干絡めつつ書いていきます。

↓以下、ネタバレ含む。








■過去作との繋がり

スペクターの会議や、歯を噛みしめてしまうドリル系の拷問、さらにアクションからファッションまで、シリーズの過去作へのオマージュは至るところにあります。スペクター会議は『サンダーボルト作戦』をさらに厳かにしたかのよう。No.1の顔が影で見えないまま突如声を発しての名指しは非常にスリリング。電車での格闘やボートチェイスは『ロシアより愛を込めて』ですね。電車バトルではヒンクスが強すぎて本気でやられそうになってビビります。二人がかりでようやく倒したからこそ、あのラブシーンに繋がるわけですね。というかあそこまで死にかければそりゃセックスもしますよ。砂漠のスペクター基地はシンプルな佇まいが過去のチープな秘密基地を連想させるし、マドレーヌがチャイナっぽい服に着替えるのは『ドクター・ノオ』、雪山チェイスは『女王陛下の007』のようです。ネズミに「お前はスパイか?ボスは誰だ?」と聞くのには「ボンドちょっと疲れてんのかな?」と思うんですが、これもオマージュだそうで。

またオーベルハウザーのザックリ傷を負った顔は『007は二度死ぬ』のNo.1ことベルフェルドの風貌であり、しっかりその名前も出してきます(スキンヘッドではないですが)。猫を撫でるのも過去作通り。ただし撫でた後で服に付いた毛を払うあたりに神経質さが表れてます。しかし改めて見ると犯罪組織スペクターって凄いな。テロ、復讐、恐喝、諜報などで世界を混乱に陥れて利を得ようとするのがその目的ですが、悪事の計画や成果を淡々と報告という、組織と言えば会議、みたいなノリのアンバランスさが可笑しいです。失敗したら死の制裁ってのはとんだブラック企業ですが、活動自体がブラックなので問題なし(そうか?)。スペクター基地への迎え方のムカつくバカ丁寧さがまたふざけてます(ホメてる)。そう言えばボンドがガラスに仕切られたオーベルハウザーを撃ったとき、ガラスに付いた銃痕がスペクターのマークのようになってるのは、狙いすぎてて笑います。

随所にユーモアを仕込んでくるのも007らしいですが、本作はこれ、完全に笑わせにきてるよね?落ちたらソファ、でさすがのボンドも「おぉ…」みたいな顔するし、「絵はがき送るよ」の言葉に「やめてください」と言うQも面白い。今回はフィジカルでも頑張る健気なQちゃんですが、口では嫌だと理性的に言っても顔にボンド大好きなのが表れてるのが可愛すぎます。自信作の車をボンドに自慢したら持ってかれちゃうし。さらにギミックがいかにもボンドカーなその車は009用で、機銃を撃とうとしたら弾切れ、環境ボタン押したら優雅な音楽と、クレイグ・ボンドに秘密兵器は似合わないと言わんばかり。それでも辛うじてエアボタンでの緊急脱出をちゃんとキメるところはニクい。結局ボンドに渡されたのは時計だけですが、「何か特別な機能が?」「時間が分かります」で爆笑させながら、これがピンチでしっかり活かされるのもまたお約束です。

過去作との類似は探せば他にもあるでしょうね。僕は最近観直したコネリー・ボンド作品以外はさすがに忘れてるものも多いので全部は分かりませんが、これを機に遡って観てみるのも楽しいでしょうね。


■構造化という仕掛け

このような観点から本作を「007シリーズの集大成」と見るのは自然なことでしょう。ただ、単純に原点回帰かと言えばちょっと違う気がします。確かに前述のオマージュ始め、細かい説明を廃し、整合性を犠牲にして荒唐無稽さを押し出した作りはかつての007という気がしますが、そういった細部を魅せるために「007映画」の構造を徹底して分析し、再構築しているのを感じます。細部のキモを残すためにやっているので換骨奪胎とも違う、言ってみれば「構造化」です。そこにはクレイグ・ボンド3作で描いてきた007という存在の意義をも内包しており、さらにその中に(後述しますが)ジェームズ・ボンドという男の人生まで含んでいる。つまり「ボンドという人間」という核を「007という生き方」で包み「007映画の醍醐味」でくるむという、23作続いた過去作をあらゆる観点で解析し、物語の整合性とは別の論理によって構造化したのが本作でしょう。だから「007」の対局に位置する「スペクター」をタイトルとしているのも、主人公と表裏一体の存在だから、だという気がします。

『カジノ・ロワイヤル』では真実の愛に出会い、『慰めの報酬』では失った心を慰め、『スカイフォール』では自身の生い立ちに遡り母と別れて007としての自己を確立します。スパイとなり、そこからはみ出し、終焉を迎え、復活するまでが描かれており、ここまでで「スパイとしての007」という存在は既に構造化されていると言えます。007が「復活」に至ったことは、お馴染みガンバレル・シーケンス(銃口から覗いて撃たれる映像)が前作『スカイフォール』ではラスト、今作では冒頭で流れることでも示されますね。その直後の「死者は生きている」というダイアログも「復活」の意味と取れます。ではスパイとして復活したボンドを今度はどう描くのか。ここがキモとなります。


■欠点か味か

構造化により細かい整合性はある程度切り捨てられ、それにより不自然さが際立っていることも否めません。最も大きいのは、ヴェスパー(エヴァ・グリーン)やM(ジュディ・デンチ)の死も、ル・シッフル(マッツ・ミケルセン)やシルヴァ(ハビエル・バルデム)との対決も、全てがオーベルハウザーの仕掛けたシナリオだ、という点です。過去作でそんな伏線は全くなく、ボンドがオーベルハウザーと兄弟関係にあったというのも唐突で、正直「そういう繋げ方しちゃうの!?」とは思います。「女は皆死ぬ」と言うけど『慰めの報酬』のカミーユ(オルガ・キュリレンコ)は生きてるし(恋仲にならなかったから?)。唐突と言えばスペクターという組織自体もそうで、ミスター・ホワイトが「彼らはどこにでもいる」と言いますが、クレイグ・ボンドではその伏線がなかったため「どこにでもいる」感が弱いです。『キャプテン・アメリカ』などMCUで登場する「ヒドラ」ほどのスケールが実感できないんですね(一応MI6が追っている2つのデカい事件がスペクターの仕業と判明はするけど台詞のみの説明)。ちょっと構造的な仕掛けにこだわりすぎてる感がなくもないです。

またオーベルハウザーが過去と現在を繋げるという役回りの方が印象強く、ラスボスとしてはちょっと弱いというか小物感も。ヴァルツの繊細な不気味さはとても良いんですけどね。さらにボンドがマドレーヌに心底惹かれる、という決定的なシーンがないのもちょっと引っ掛かります。ただ、これらを欠点と見るのは容易いのですが、それによってエモーショナルな点が弱まってるわけでもないと思うんですよ。「物語」としての精度は落ちるものの、構造化を成し遂げるための大胆な試みとしては面白いと思うのです。

さすがに気になる点もありますよ。ミスター・ホワイトが「携帯に毒があった、タリウムだ」と言いますが、どうやって携帯に仕込んだのか、それ以前にそんな仕込みが出来るなら普通に暗殺すればいいのに、とか。敵本拠地を知るためかもしれないけど、スペクターの車で招かれてなぜノコノコ付いていくの?とか。ヒンクス(バウティスタ)が列車で襲ってくるシーンで、直前までいたはずの他の乗客たちがいつの間にかいなくなってるとか。その前にバウティスタの台詞は最後の「Shit」しかないんかい!とか(それは別にいいか)。Cのところへ乗り込もうというタイミングでいきなり別れを告げるマドレーヌも不自然だし(裏切るのかと思っちゃったよ)、ホワイトの隠れ家で見つけたVHSテープに「ヴェスパーの拷問」とあったけど特に何も触れないのもモヤモヤします(察しろってことですかね)。銃の腕前も前作で外しまくっていたのは何だったんだというくらい、長距離射撃を一発でキメたりしますね。んー、でもまあその辺りは「だって007だし!」というノリで許しちゃうんですけどね。

あとこれは作品の出来とは関係ない話ですが、序盤のMI6オフィスでMがボンドに話すシーンで、字幕では「上司として聞く」となってるから「an official question」の訳だと思うんだけど、文脈的には一度聞いて答えないから聞き方を変えてるんですよ。だから「unofficial question」で「非公式に聞く」じゃないかと思うんですが、違いますかね?「非公式に聞く」が正しいとすると、そこには「友人として聞く」というニュアンスがあるかもしれず、ボンドとMの関係がまるで印象が違ってくるんですけどね。


■スパイの人生にサヨナラを

今作では「00部門の廃止」が取り沙汰されます。つい最近『ミッション・インポッシブル ローグ・ネイション』でもIMFが解体の危機に瀕したことを考えると、現代の諜報部はどこもかしこも大変です。それだけ情報取得の重要性、カバーする範囲、共有、セキュア、といった情報戦がクローズアップされてるということでしょう。Cにそのようなことを言われたMは「最後に引き金を引く、そのときはそれらは関係ない」と反論しますが、しかしこれは逆に言うともはやスパイの存在意義はその一点であるとも取れます。つまり「殺し屋」である、ということです。実際ボンドはマドレーヌに「殺し屋だ」と名乗っているし、組織だった諜報機関の象徴であるMI6ビルは本作にて完全に崩れ落ちてしまいます。オープニングではヴェスパーやル・シッフル、シルヴァといった過去に登場した人物たちが顔を見せ、これまでのボンドのスパイ人生を映し出しますが、それらが全てオーベルハウザーの仕業だと明かされ、さらにはスパイ=殺し屋という図式まで出来てしまう。虚構のなかで殺すだけの人生です。

しかしそこに至る前に、ボンドがマドレーヌに「なぜ殺し屋の人生を選んだのか、別の選択もある」と言われ、その人生に乾杯する、というシーンがあるんですね。そして最後には地べたに這いずるオーベルハウザーを見下ろし、「スパイとは引金を引く者」と言ったMと、別の人生に乾杯したマドレーヌとのあいだに立ち、ボンドはオーベルハウザーを殺さないという選択をしてマドレーヌと共に去って行きます。つまりボンドはオーベルハウザーの提示してきた虚飾まみれの人生を倒し、殺し屋の生き方さえも抜け出して、マドレーヌの示唆した「別の生き方」を選ぶのです。スパイとして復活した007の次は、一個人として再生したジェームズ・ボンドという構造になるんですね。これは「007映画」という枠の中で「スパイ007」という存在を描くという構造化あっての落とし込み方。そこにとてもシビれるのです。


■それでも007は帰ってくる

いっそこれでクレイグ・ボンドは終わりでもいいくらいですが、そうするとボンドはスパイ廃業のまま終わってしまうので、それはそれで困ります(ファンが)。となると次は自分を取り戻した上でボンドがスパイに復活ってことになるんでしょうかね。しかし殺し屋であることを否定してしまったのでやりにくくなりそう。ハードル上がりまくってる気がしなくもないですが、「殺しの許可証は、殺さない許可証でもある」とMが言っているのが今後の展開のきっかけとなるのかもしれません。

もうひとつ気になるのは、本作では今までの007にはあまりなかったチーム感がちょっとだけ増していることです。協力というよりはそれぞれが自分の役割を果たす、なので結局最後は一人で対決するわけですが、ボンドがMに「あなたの友達のCが」と言ったり、MがCに「友人が悪い」と言ったり、マネーペニーがボンドに「あなたも友達を作ったら?」と言ったりとやたら友だちを作ろう的な台詞があるので、さらにチームプレイを重視してくる可能性も。マネーペニーに「誰も信じないのね」と言われたボンドが信頼で成り立ったチームのサポートの元でスパイに返り咲く。あまり007っぽくない作りではあるし、それこそ『ミッション・インポッシブル』的になりそうですが、これを上手くやればさらなる進化を遂げるかもしれず、そういう意味でも本作がシリーズのエポック・メイキングになるのでは、という期待を抱いてしまうのです。なんにせよ、ジェームズ・ボンドが再び007となってさらなる「復活」を遂げる日が楽しみです。

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